雪組「壬生義士伝/Music Revolution」感想❄️

こんばんは、あさがおです。

 

雪組「壬生義士伝」観てきました〜。

 

観劇前に原作小説と映画を予習していきました💡

どちらも本当に素晴らしくて感動したので、期待が高まる反面、短い上演時間で描ききれるのかなと心配もありました。

 

観劇してまず感じたのは、「勿体無いなぁ」ということでした。

「泣けた」けれども、原作のような感動はなかった。

 

原作は、全編を通して心の奥深くに語りかけてくるものがあり、読みながら胸が苦しくなる瞬間が何度もありました。

よく、「メッセージ性」と言いますが、小説「壬生義士伝」は、そんな軽い言葉で説明したくない、もっと私たちの芯の部分に語りかけてくるような、そんな作品なんです。

 

もちろん、だいもん(望海風斗)ときほちゃん(真彩希帆)をはじめとする雪組の皆さんのお芝居は、すごく深く掘り下げられていて、脚本に書かれていない部分を埋めるに十分なものだったと思います。

主人公の吉村貫一郎が脱藩を決意するまで追い詰められて行く心の動きや、故郷に残された家族の辛さ、ラストに向かう大野次郎右衛門と周囲の苦しさ、やるせなさなど、少ないセリフのやり取りでよく表現されてるなと感動しました。

 

 

ただ、脚本に深みがなかったために、組子の奮闘だけではカバーできなかったな・・・。

いや、宝塚版も、「暗くなりすぎず、新撰組を知らない人も楽しめて、笑いあり涙あり、宝塚らしい華やかさ(明治時代の回想シーン)もあり・・・」と、いろんなニーズを満たすために苦慮されたのだと思うので、深みがないとバッサリ切ってしまうのはよくないかもしれませんね。

それに、ちゃんと(?)悲しい場面では泣けたし、笑いを取ろうとしている場面では笑えましたから、脚本家の意図したところは達成できたのかもしれません。

別に「良くなかった」とは言いません。

 

 

でも、ふと、「群盗」のプログラムで小柳奈穂子先生が「最近は『泣ける』『元気が出る』という機能重視の作品が多い」という趣旨の言葉を書かれていたのを思い出したんです。

 

「壬生義士伝」は、単に「悲しくて泣ける」「おかしくて笑える」を超えたものにできたんじゃないかなぁ。

登場人物それぞれの生き方が胸に迫って、「悲しい」とかそういう明確な理由は分からないけれど、自然と涙が込み上げてくる、そんなものにもなり得たのではないかな。

そう考えると、「勿体無いなぁ」と思ったのです。

 

 

ああ、でも、だいもんは一挙手一投足が完璧に吉村貫一郎で、果てる前の独白は素晴らしかったし、しづという地味で印象が薄くなりがちな役があんなに輝いたのはきほちゃんの力量だなぁと思ったし、咲ちゃん(彩風咲奈)も次郎右衛門が本音を隠して御高知(おたかち:上級武士のことらしいです)としての責任を全うする姿をよく演じていたし、隅から隅の下級生に至るまで、本当に組子の皆さんは素晴らしかった!!(一息)

センター付近の人たちだけが上手くてもダメですからね。

舞台を流れる空気感、セリフがない人たちの振る舞い全てが作品に影響すること、そして、今の雪組は本当に全員で素晴らしい舞台を作っているのだということを改めて感じました。

 

一人一人言いたいんです、良かったところ。

みんな良かったんです。

でも、ここまででもう1200字越えてるのです。

ちょっと夜も遅いし、また別の機会に・・・

 

 

・・・と思ったけど、そうだ、Twitterを始めたんだった!

 

 

ということで、Twitterでちょいちょい呟くかもしれません。

 

 

 

 

あ、一つだけ。

近藤勇役のまなはる君(真那春人)が、俗物感出てて良かった。

俗物であることは、劇中で斎藤一(だったかな?)の説明ゼリフで触れられた以外は特別描かれていないんですが、なんか、そこはかとない俗物感が漂っていました(褒めてます)。

ちなみに、近藤勇って、俗物として描かれることばかりじゃないですからね。カリスマ性やリーダーシップが強調されることも多いですし、きっとそういう人物だったのだと思います。壬生義士伝では俗物扱いなだけですから。そして私は近藤さん好きです(どうでもいい)。

とにかく、前作「20世紀号に乗って」であんなに精神細やか?なオリバーを演じていた人と同一人物とは思えないような鷹揚さと深みのなさで、ちょっと驚いたので触れさせていただきました。

 

 

 

 

あ、Music Revolution の感想も書けなかったし、やっぱり後日改めて書くことにします♪

 

 

 

 

ではでは、今日はこの辺で🍀